何故彼らを見捨てなかったのか――十戒/夕木春央

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「犯人は、自分の罪を暴かれたら身の破滅だから、その時は全員を道連れにするっていうのが、さっきの話でしたよね。でも、よくよく考えてみると、犯人には別の選択肢もあります。他の全員を殺して、自分だけ助かるっていうことにしてもいいんです」

夕木春央.十戒(p.117).講談社.KindleEdition.

 本作における最大の謎は『何故犯人は島を爆破して逃げなかったのか』だろう。あの状況になったのならば、最初の夜に一人で逃げて島を爆破してしまうことが一番確実で合理的であることは明白だった。何故わざわざリスクを負いながら、あんな回りくどい形での解決を望んだのだろうか。

 その謎は最期の最後で明かされる犯人の正体、あるいは本作前作『方舟に対するいわばアンサーストーリーであるという事実によって解決する。

(この先、本作および前作『方舟』の犯人や結末に関する致命的なネタバレがあります)

 

 

「わたし、綾川さんを信じてます。わたしには、他にどうしようもないので」

夕木春央.十戒(p.191).講談社.KindleEdition.

 戒律に従わなければ島にある爆弾を爆破させる――島内の全員の命を人質に、犯人によって敷かれたルール。全員の命と引き換えにルールが強制されるという状況は前作『方舟』と共通しており、だからこそ前作の読者は本作の主人公である里英の態度に危機感を覚える。前作『方舟』においては、探偵役である翔太郎が最終的に犯人にまんまとしてやられた形になってしまったからだ。

 戒律によって事件を調査したり犯人を探る行為が禁じられているものの、かといって何もすることなく、無条件に今作の探偵役である綾川に対して一方的な妄信をみせるだけでいいのだろうか。特に里英と綾川は島に来て初めて会った間柄であり、彼女の探偵としての能力だってもちろん知らない。にもかかわらず彼女のことを全面的に信じ続ける根拠はどこから出てきているのか。それは本当に信頼に足るものなのだろうか?

 結果としてみれば、里英は探偵としての綾川を信じていたわけではなかった。彼女が信じていたのは戒律であり、あるいは戒律を敷いた犯人としての綾川だった。 彼女こそが殺人犯であり、戒律を敷いた張本人だと気づきながらも、それでも戒律に従う限りは彼女は自分たちを殺したりはしないと信じたのだ。

 一方綾川の方はどうだっただろう。彼女にとって里英も、島に来て会ったばかりの女の子でしかなかったはずだ。里英がうっかり口を開いて全てが明かされてしまったら――うっかりならまだよく、こっそり父親に相談して綾川をとっ捕まえる算段などを立てられていたら、彼女は殺人犯として帰島する羽目になっていたかもしれない。にもかかわらず、里英のことを信じた根拠はどこから出てきているのか。それは本作の最大の謎に通じるところでもあり、して同じく最後に明かされる彼女の正体によってはっきりとする。

 綾川は誰のことも信じていなかった。彼女はただ知っていた・・・・・・・・・・自分の命が天秤にかけられたルールには、誰も逆らえないことを。自分の命を投げ捨ててまで、何かを優先する人間など存在しないことを

 夜の間に一人でボートに乗って海に出て、すべてを爆弾で無に帰すことだってできたのだ。それでもわざわざリスクを負って戒律を敷き、殺人を犯し、偽の手がかりと解決まで用意したのは、彼女が免罪符を欲しがったからだろう。彼女は自分が生き残るために人を殺した。例え彼らが犯罪者で、自分たちを殺そうとしていた相手だとしても、法律上の正当防衛は認められないその行為を、自分の中で正当化するための免罪符。

 そして彼女は期待していた。自分が殺人犯であることに気付いていて、それでもなお理英は自分のことを信じてくれるのか。それこそが彼女の『選別』であり、そして今度こそ彼女の期待は応えられた。