何故彼らは死ななければならなかったのか――方舟/夕木春央

 地震により扉が岩でふさがれ、山奥の地下建築に閉じ込められた主人公たち。加えて地盤から徐々に水が流れ込んできており、一週間もすれば水没してしまう。そんな矢先に、なんと殺人事件が発生する――。
 いわゆる『極限状況モノ』と言うべきジャンルのシチュエーションを、ミステリのクローズドサークルとして利用した本作だが、そのアイデア自体は目新しいわけではない*1。本作における独自性は『このままでは全滅してしまう状況下で殺人事件が発生する』というシチュエーションに加えて、ジレンマ要素――生贄を一人捧げることができれば、残りの人間は生き残ることができる――が加わっている点だろう。
 地下から徐々に水が流れ込む中、誰か一人がレバーを下げれば出口を塞ぐ岩を落とすことができる。ただしレバーを下げた人物は落ちてきた岩により小部屋に閉じ込められ、徐々に水位が上がる恐怖に怯えながら溺死するというこの上なく残虐な死に方をすることになる。本作、本シチュエーションににおける主題とは『誰に生贄をやらせるか』なのだ。

 本来この状況で始まるのはジレンマゲームであり、『誰が生贄になるのか』と『生贄を決定する方法』の議論が始まるはずなのだ。誰も自分でレバーを引く役をやりたくはないし、かといって生贄にレバーを下ろしてもらわなければ残りの人間は助からないので、無理やり生贄を決定することはできない。誰もが納得できる公平に生贄を選出する方法――そんなありもしないものを求めて、不毛な議論が展開されるはずだった。

 しかしここで発生した殺人事件によって、皮肉にもその議論に決着がつくことになる。殺人事件の犯人に生贄をやらせればいい――本来崩れるはずがなかったナッシュ均衡が、このイレギュラーな殺人事件により犯人以外の全員の生還が約束された状況に一変したのだ。

 本作の探偵役である翔太郎は、終始主題の解決を軸に行動していた。彼が殺人事件の推理をするのは、犯人を『この状況下で極めて冷静で理知的な人物』だと評しており、だからこそ犯人を明確な論理により明白にすれば、生贄役になることを説得できる可能性が大きいと判断したからだ。彼の目的は地下遺跡からの脱出であり、この殺人事件の解決ではない。目の前の殺人事件は主題を解決するための手段として割り切った彼のスタンスは正しいのかもしれないが、しかしそれによって真に見破るべきトリックに気付くことができなかった。

(この先、犯人や結末に関する致命的なネタバレがあります)

 彼は繰り返し主張していた。この冷たい方程式を解き明かす上で最も重要なのは『誰が犯人か』と『犯人を断定するための明確な論理』であり、犯人の動機は関係ないと。

「まあね。確かに動機はどうでもいい。分からなくても困ることはない。すぐにでも俺たちが知らなくちゃいけないのは、誰が裕哉君を殺したのかということだ。ここが水没するまでに、どうしても犯人だけは突き止めなければならない」

夕木春央.方舟(p.72).講談社.Kindle版.

「動機が分かったところで、それはただ蓋然性の高い説明に過ぎない。要するに、こうだとしたら辻褄が合うってだけのものだろう? 動機というのは。俺らを納得させてくれるかもしれないが、それ以外には何の役にも立たない。いくらそれらしい説を思い付いたとしても、その動機を持っていたのはお前だけだとか言って誰かを責めることはできない。 今この状況で必要なのは、誰が犯人かを証明する明快な論理だ。動機なんか、犯人が分かってから本人に直接訊いた方が確実だからな」

夕木春央.方舟(p.88).講談社.Kindle版.

 最終的には動機にもある程度蓋然性の高い推測を立てることはしたものの、正鵠を射てはいなかった。冷たい方程式を解くことには成功したものの、結局は彼も身を滅ぼすことになる。『この状況下で極めて冷静で理知的』な犯人が、この状況で殺人を犯す理由の重要性を蔑ろにしたからこそ、事の真相に至ることができなかった。

 

 至らなかったという点においては、主人公の柊一も同様だ。矢崎がレバーを回しかけたその時、思わず声を上げて止めようとした柊一を見て、彼女は期待をしたのだ。彼ならば選別を潜り抜けてくれるに違いないと。

「ここを無事に出られたとして、私たちそれからどうなるかな? 普通に暮らせる? 今まで通り仕事したりとか、できそう?」

夕木春央.方舟(p.194).講談社.Kindle版.

 彼女にしてみれば、タイムリミットギリギリまで待つ必要はなかったのだ。レバーを下ろす必要さえなく、脱出の準備を整えた時点で一人でこっそりと抜け出すことができたのだ。カルネアデスの舟板を占拠した彼女には、問答無用で全員を突き飛ばす権利があったが、そうはしなかった。彼女は公然の場で自分が今回の事件の犯人だと明かされることを望んでいた。そしてその後の『主題』の議論で、自分が生贄役をやらされることを受け入れた。

 愛し合う関係とは呼べなかったかもしれないが、それでも夫であった人物にすら生贄になることを懇願された彼女の心境はいかなものだっただろう。『愛されて死ぬ人よりも、誰にも愛されない自分の方が不幸だ』『殺人を犯した自分が悪ならば、自分を殺そうとする貴方たちも同じだ』――こうして彼女は免罪符を手に入れた。

 彼女にとって自分が生贄役になることは免罪符を得るために必要な通過儀礼だった。その状況で『もう一人』を連れていくためには、彼女と一緒に地下に残って死ぬことを決断してもらう必要があった。それこそが彼女の『選別』であり、柊一はその選別を生き残ることはできなかった。


 彼ら――柊一と翔太郎――には確かに生還するチャンスは存在していた。カルネアデスの板には空きがあったし、冷たい方程式には穴があったのだ。にもかかわらず、彼らはチャンスを掴むことができなかった。それは決して犯人の悪意からくる策謀ゆえではない。犯人は自分にとっての最善手を打っていたのであり、彼らが生還できなかったのは自身の至らなさによるものだった。

 結果だけみれば犯人の一人勝ちであり、まんまと出し抜かれた結末ではあるものの、犯人に対して嫌味を感じることのない納得感のある結末なのは、構成の妙であると言えるだろう。

*1:最近だと『屍人荘の殺人』や『紅蓮館の殺人』等が同様のシチュエーションでのクローズドサークルを形成していた