それでも人間を肯定できるか――LIVE A LIVE

 7つの編から自由に選んで進めるオムニバス形式で描かれるライブアライブの物語は、編ごとに時代も主人公も異なり、全くテイストの違う物語が展開される。加えてゲーム性も編ごとに全く異なり、一般的なRPGのように進む編もあれば、終始会話のみで進む編も存在する。物語もゲーム性も全く統一感がみられずバラエティに富んでいるものの、しかしいくつか編を進めていくうちに、共通項のようなものが薄っすらと見えてくる。

 たとえば、主人公の周りには常に理不尽がついて回ることが多い。功夫編では主人公に対する復讐として弟子の二人が殺され、現代編では主人公がこれまで戦ってきた相手が全員殺されてしまう。そういった『身勝手な人間の行為で主人公が理不尽な目に合う』展開が各編で共通的にみられる。

 たとえば、各編のラスボスは『人間の弱さ、愚かさ』を嫌っていることが多い。近未来編のラスボスの目的は人類の同化であったし、SF編では調和を乱す人間の排除だった。そういった『人間に対する嫌悪』のようなものが、敵役の思想のベースとして共通しているように見える。

 薄っすらと見え隠れするライブアライブというゲームの輪郭は、7つの物語を終えて最後に現れる『中世編』をプレイすることでいよいよ明白となり、そして同時にこれまでの物語の意味を理解することになる。

 身勝手な人間による理不尽と、人間の弱さと愚かさ。どの主人公よりも陰惨な形でそれらを迎えることとなったオルステッドは、先代勇者ハッシュのように、あるいはそれまでの物語における敵役のように、人間に見切りをつけることになる。

 『ライブアライブ』とは、7人の英雄と、英雄になることを諦めた魔王の闘いの物語なのだ。

 

 中世編は『TO BE CONTINUED…』で締められており、オルステッドの物語は完結していない。つまりその後現れる『最終編』とは、オルステッドの物語の続きであると言える。そこでプレイヤーは選択しなければならない。魔王オディオの哀しみと憎しみのすべてを理解したうえで、それでもなおオディオを否定することができるだろうか?

 これまでプレイしてきた8つの人生。その中でプレイヤーは様々な人々の言葉や生き様を見てきた。

 それらの経験はプレイヤーである我々に、人間を肯定させることができるだろうか?それともオルステッド同様、愚かな人間に絶望してしまうだろうか?

 オディオは語る。勝った者こそが正義、歴史とは勝者の歴史であると。このゲームの――オルステッドの物語の勝敗と結末を決めるのはプレイヤー自身だ。